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Profile
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岩﨑絵里( Eri Iwasaki )
略歴
<1968年>
兵庫県生まれ
<1990年>
嵯峨美術短期大学(現在、嵯峨芸術大学)日本画専攻科修了
【主な個展】
<2020年>
「Eri Iwasaki: Tiny Night, Tiny Light」(SEIZAN Gallery、New York)
「岩﨑絵里展 -小さな光、小さな夜-」(高島屋大阪、大阪)
<2018年>
「岩﨑絵里日本画展」(日本橋三越本店)
<2017年>
「岩﨑絵里日本画展 -日々-」(仙台三越、宮城)
<2015年>
「岩﨑絵里日本画展 -かなたのひかり せかいのはじまり-」(日本橋三越、東京・仙台三越、宮城)
<2013年>
「岩﨑絵里日本画展 庭 -a garden-」(靖山画廊、東京)
<2011年>
「岩﨑絵里日本画展 stories ひとをえがく」(日本橋三越、東京・JR大阪三越伊勢丹、大阪・仙台三越、宮城)
<2005年>
個展 (東京、’07)
<1999年>
個展 (京都、’01、’04、’06、’07、’09)
【主なグループ展】
<2020年>
Online Exhibition 「神頼み ー除災招福ー」(靖山画廊、東京・SEIZAN Gallery、New York
<2019年>
「Reimagined: Contemporary Artists Take on The Tale of Genji」(SEIZAN Gallery、New York)
<2018年>
「Nihonga・京」(日本橋三越、東京)
「NIHONGA:CONTEMPORARY ART OF JAPAN」(SEIZAN Gallery、New York)
<2017年>
「ザ・レッド−女−」(靖山画廊、東京)
グループ「星辰」日本画展(京都高島屋、京都・大阪高島屋、大阪・日本橋高島屋、東京)(‘18)
<2016年>
「創と造2016 現代日本絵画・工芸 新作展」(全国巡回)(~’18)
<2015年>
「たいせつなもの展 」(靖山画廊、東京)(~’18)
<2014年>
「若手日本画展」(新潟三越、新潟)
<2012年>
「ASIA TOP GALLERY HOTEL ART FAIR HK12 Mandarin Oriental, Hong Kong」(香港)
「ART KYOTO 2012」(京都)
「ART TAIPEI」(台北)(’13)
<2009年>
「京都 日本画新展」(JR京都伊勢丹・美術館「えき」 KYOTO、京都)(’10、’11)
「アートフェア東京2009」(東京国際フォーラム/靖山画廊ブース、東京)
「Nihonga・京」(日本橋三越、東京)(〜’18)(JR大阪三越伊勢丹巡回、大阪)(’11〜’14)
「KIAF Korea International Art Fair」(ソウル、’11)
「東京コンテンポラリーアートフェア」(東京)
<2008年>
「日本画・京都からの表現NEXTの10年1998−2007」(砺波市美術館、富山)
「〜翔〜時代を切り拓く日本画展」(日本橋三越本店、東京)
<2007年>
「日本画表現の多様性」(大阪成蹊大学、大阪)
<2006年>
「日本画の魅力-美しき人と心 人間表現、明治から現代まで」(徳島県立近代美術館、徳島)
<2001年>
「京都府美術工芸選抜展」(京都文化博物館、京都)(’03、’05)
<2000年>
「NEXT展」(京都、’04 〜’07)
【受賞歴】
<2010年>
京都市芸術新人賞
<2001年>
京展 市長賞(京都市美術館)
<1998年>
京都日本画家協会新鋭選抜展 毎日新聞社賞
<1997年>
青垣2001年日本画展 兵庫県文化協会賞
<1993年>
京展 紅賞(京都市美術館) (’97、’01)
<1991年>
大三島美術館京都日本画新鋭選抜展 奨励賞
<1990年>
卒業修了制作 大覚寺賞
【パブリックコレクション】
京都府
【その他】
<2017年>
装丁画 宮下奈都「つぼみ」(光文社)
<2016年>
装丁画 浅野里沙子「藍の雨」(ポプラ社)
<2011年>
装丁画 遠田潤子「アンチェルの蝶」(光文社)
現在、1998年より在阪TV局と新聞社の法廷内イラスト担当として従事
Statement
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人は柔らかく、弱く、脆くて儚い。ポロポロと崩れやすい。
傷付きたくなくて、守るために硬いなにかを、尖ったなにかをまとう。
まとってはみたものの、過剰になれば他者を寄せ付けない、時には傷つけるものとなってしまう。
孤独を恐れて守りにはいれば、時として孤立を招く。足元はか細く危うく、頭でっかちに肥大する。
存在する以上、生きている以上、柔らかな己を、弱くて脆い己をしっかり受け止めなければいけない。弱くて脆く儚くていい。自分以外の他者も、誰もがみんなそうなのだ。少しずつ、硬いなにかは柔らかな薄いベールになればいい。尖ったなにかは少しずず先が丸く低くなればいい。
ひとりひとりの中にある小さな粒を、ヒトを凛と存在させる何かを表現できたらと願う。
Concepts
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主に人物をモチーフとしてきた。
人の存在する形、有り様(外面だけでなく内面も)について単に見たままを描くのではなく、何かに例えることで、置き換えたり組み合わせたり、時として現実ではあり得ないような設定にすることで、それらが、より明確になるのかもしれない。自分の制作について、明確な言葉や文章に置き換えるのにはいつも困る。言葉にしにくいから形で表現している面もある。また、単に絵の具が面白いからでもある。※別途補足
言葉について困るのはその言葉が完璧ではない時もあるからだ。ぼんやりとした、でも、日々の中で小さく芽を出してきた確かにある「何か」を吐き出すことが私の制作活動になっている。小さな子が、周囲に「こんなことがあったよ。こんなことしたよ」というようなものかもしれない。自分の中に芽生えた「何か」をそれはこうなのか?ああなのか?と小さな落書きを繰り返し私自身が納得のいくその「何か」についての「腑に落ちる形」といったものを探している。答えを探すような感じかもしれない。それが見えたら、使う画材も表現技法も決まる。画面上で迷うことはない。
そしてそれらが形になった時、私の作品に接した人たちに中にわずかな一瞬でも吹き抜ける風となれば面白いと考える。停滞した空気の中でのわずかな空気の揺らぎや小さな風を感じた時の喜びのようなものであればと。
※別途補足
10代で出会った日本の伝統的な画材が私には相性が良かったのだろう。主義主張を表現するというよりは画材で遊んでいるようなものかもしれない。日本の伝統的な画材は、極めて繊細な表現もできれば、描画する以外、基定材によっては洗う、削る、擦るも可能で応用が効く。経年による変化も、古くからの日本の絵画作品と同じ画材を使用しているので、ある程度予測がつく。
また和紙も絵の具も筆も、私自身が使用しているものについては職人の人たちによる手作業で作られている。それらは、完成度が高く美しく機能的だ。でも、それらも残念ながら現在は、厳しい状況にある。しかし、それらを大切にし、次世代へ伝えようと努力している人々もいる。
私自身、それらの画材に出会ったことで刺激を受けたのが根底にある。